【音楽ギョーカイ片隅コラム】Vo.51「無敵と書いて、エクスタシーと読む」

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フジロックの最終日、一緒に過ごしていた編集者が「明日、急遽記者会見に行くことになった」と言うので誰なのか尋ねたところ、YOSHIKIという答えでした。フェスごはんに舌鼓を打ちながら、松田聖子への楽曲提供の次は何だろう? と脳内でぼやっとは思っていましたが、まさかの「エクスタシー・サミット」開催。

そんなことが起こるだなんて、一度も予想したことがなかったし、24年も経ったという時の流れには目眩を覚えました。このコラムの読者の皆さんの中で、無敵と書いてエクスタシーと読める人がどれほどいるかわかりませんが、あっさりそう読めてしまう世代の一人である私です。


当時16歳、高校1年生だった田舎の女子高生は最寄り駅から九段下まで、電車で2時間かかるため、その固く閉じられた監視付きの校門から出ることを諦め、塀をよじ登って脱出するというスリリングな道を選んだ結果、生活指導の先生に敢え無く見つかってしまいました。しかしそこは気合いで逃げ切り、ライブには間に合ったのでした。

フジロック20周年に寄せ、BARKS編集部の【フジロック検証】メンバーとして、日本における音楽フェスの根付き方、経緯など、取材を通してたっぷりと触れる機会に恵まれ、20年前の出来事を辿ることがここ数ヶ月多かったのですが、「エクスタシー・サミット」はそれよりも5年も前に開催されていたんですよね。当時も無論フェスという概念はなかったものの「エクスタシー・サミット」に関しては、お祭り感覚であったことは間違いなくて、出演者もオーディエンスも10代から20代を中心とした勢いのある現象だったと言えるでしょうし、改めて考えてみると、あれはフェスだったよなあと思います。

そういえば、24年前のあの日、超絶カッコいいベーシストを発見したんです。顔は一切見えなかったのですが、ストレートのボブで、細身で、でも音は図太くて。あの日初めて観たVIRUSというバンドを帰宅後調べたところ、IKUZOという名の人だと分かりました。その彼が後にDragon AshのIKUZONEだったということを知って大変驚いたのですが、今は彼も、ヤンキースのUMEちゃんもhideさんもTAIJIさんもいない。それが残念です。

一時期、VISUAL系という言葉で一部のバンドが蔑視されるような風潮があったり、その派手な出で立ちのせいで音楽を正当に評価してもらえないという変な時代もありましたが、時代も変わり、VISUAL系をひとつの文化として切り取って、VISUAL JAPAN SUMMITなる壮大なフェスが打ち立てて日本の音楽を世界に発信していくことはとても興味深いこと。今後の進展を見守りたいですね。そして、今年開催されるVISUAL JAPAN SUMMITでも新たな発見や驚きがあることに期待します。

◆早乙女“ドラミ”ゆうこの【音楽ギョーカイ片隅コラム】
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