【音楽ギョーカイ片隅コラム】Vo.80 「音楽教育から得る利益の行方」

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日本全国にある数千ある音楽教室から「音楽の著作物の著作権を保護し、あわせて音楽の著作物の利用の円滑を図り、もって音楽文化の普及発展に寄与すること」というスローガンを掲げ、教室内での「練習」や「演奏」も著作権法上の演奏料に該当するという解釈で音楽教室が生徒から得ている受講料の一部を徴収したがっている日本著作権協会(JASRAC)。それに対し、音楽教育事業を営む7つの企業、団体(一般財団法人ヤマハ音楽振興会、株式会社河合楽器製作所、株式会社開進堂楽器、島村楽器株式会社、一般社団法人全日本ピアノ指導者協会、株式会社宮地商会、株式会社山野楽器)が「音楽教育を守る会」を今年2月に発足し、2017年5月の時点で338にのぼる企業、団体が一丸となって戦う姿勢を見せている事件。これは日本が文化面で大変貧しい国であると再認識させられる非常に悲しい一例です。この件で実際に得をする人、守られる人は一体誰なのでしょうか。

今件でどうしても解せないのが、JASRACの言動と、冒頭で紹介した通りの彼らのスローガンとの間にある矛盾です。本来ならば、著作権を守る立場にある彼らだからこそ音楽の普及や教育の現場を深く見つめることができるポジションを最大限に利用し、そこで今何が行われ、何が必要で、音楽教室と学校の音楽教室の違いの有無、そして実際にはどこで音楽教育が深くなされているのかを誰よりも理解し、音楽文化の普及発展のためにいずれの音楽教育現場をもサポートするのが彼らの主軸にあるべきであって、音楽の生まれる原点ともいうべき学びの場を、彼ら独自の視点と判断によって音楽教育とビジネスとに分けるボーダーを作ることを許されていると勘違いしているのなら、それは違うでしょう。これは作家を守ることや音楽振興とは違う次元の問題であり、独自のルールと解釈に則り、我が物顔でビジネス道を邁進しているようにしか見えない今回の一件は残念としか言いようがありません。

確かに、音楽は作り手あってのもの。音楽が使用されたならば、著作権料が発生するのは当然です。しかし、今回のような無形の芸術である音楽を教材とし、教材を演奏するのは個人のための練習であり、それによって金銭的な利益を得るものでないことが明白であるにも関わらず、その音楽教育環境を整えることをサービスとして提供し、長年音楽教育の普及を日本で実行してきた企業や団体を公立私立の学校と区切って捉え、不平等に扱うのはいかがなものかと。

そしてもうひとつ。JASRACよりももっとガッカリなのはこの一件に対しての日本のミュージシャンの反応が薄すぎることです。

JASRACのサイトには、作品データベース「J-WID」で公開している管理作品数は、国内作品:約154万作品、外国作品:約220万作品(2017年3月31日現在)、信託契約数は17,610件(2017年4月1日現在)と明記されています。これほど多くの作品が登録されているのに、音楽家側からJASRACに対して異議を唱える声がほとんど聞こえてきません。この問題を仲裁できるのは、裁判所か作家である彼らしかいないわけで、誰かしら「こどもたちが音楽を学ぶためならば、公立私立の学校同様に、今まで通り音楽教室でも俺の、私の楽曲は無料で使用OK」と訴える音楽家がもう少しいてもおかしくないはずですが、当事者なのにほとんどがノーコメント。これは異常です。

こうした問題に音楽を生んだ人たちの、特に現代の音楽シーンを牽引しているミュージシャンたちからの主張が聞こえてこないのは絶望的と言えるでしょう。もしこれがアメリカやイギリスで起きていたならば、きっとビジネス度外視な反体派の有名ミュージシャンが集まって、イベントまで企画して「俺たちの作品を俺たちが正しく伝え、守る!」と大暴れするようなムーブメントを起こすだろうと容易に想像できます。

老害なのか、ゆとりなのか、無関心なのか。日本社会にはびこる事なかれ主義がミュージシャンの間にまで浸透しているようで非常に気持ち悪いです。

「俺は△○□音楽教室でピアノを習ったことがきっかけで音楽の道へ進むことを決めた! だから俺の作品は無償で全部使って! 難しくてもそれなりの事務処理もするよ! 他のミュージシャンも賛同して!」と大声で叫ぶミュージシャンが現れ、違った角度から問題を切り取ることをきっかけに、より日本の音楽教育環境が整い、より音楽が普及されていく展開をひっそりと妄想しています。ないか、そんなこと。


文=早乙女‘dorami’ゆうこ

◆早乙女“ドラミ”ゆうこの【音楽ギョーカイ片隅コラム】
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