“ブラック・アルバム”10年目の検証──映像観ずしてメタリカを語るなかれ!

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“ブラック・アルバム”10年目の検証
映像観ずしてメタリカを語るなかれ!


“カルト”から“モンスター”への飛躍

最新“CLASSIC ALBUMS”ヴィデオ

『classic albums:Metallica』
(VHS)
VIDEOARTSMUSIC VAVG-1086
2001年6月27日発売 3,990(tax in)

1 エンター・サンドマン
2 サッド・バッド・トゥルー
3 ホゥリアー・ザン・ザウ
4 ジ・アンフォーギヴン
5 ホェアエヴァー・アイ・メロウ

6 ナッシング・エルス・マターズ



10年目の検証

モダン・へヴィ・ロックの代表格にメタリカが君臨してすでに10年。

『METALLICA』


1.Enter Sandman
2.Sad But True
3.Holier Than Thou
4.The Unforgiven
5.Wherever I May Roam
6.Don't Tread On Me
7.Through The Never
8.Nothing Else Matters
9.Of Wolf And Man
10.The God That Failed
11.My Friend Of Misery
12.The Struggle Within
このビデオ“CLASSIC ALBUMS”は、その原動力となったアルバム『メタリカ』の魅力を徹底的に掘下げた検証プログラムだ。真っ白なジャケットで御馴染みのビートルズ『ホワイト・アルバム』とは対照的に黒一色に覆われたジャケット・アートの『メタリカ』は通称“ブラック・アルバム”と呼ばれ、シンプルなデザインが逆にメタリカの凄みを倍増させているようでインパクトは絶大だ。

メンバーのフロント的なポジションにいるラーズ・ウルリッヒとジェームズ・ヘットフィールドはかなり頑固なクリエイターとして有名。それだけにレコーディング作業も、ある種の緊張感がピ~ンと張り詰めているという。

実際、当時のレコーディング風景の映像では、例えば「エンター・サンドマン」のラーズの表情は恐いようでもあり、例えスタジオ・ワークとは言え、そこはもう様々な意味でバトル会場と化している。まさに臨場感満点の映像が映し出されているのだ。

この“CLASSIC ALBUMSシリーズ”はロック・シーンを振り返る時、欠くことの出来ないアーティスト、アルバムをピック・アップ、当事者、関係者のコメントを交えて作品検証を展開すると同時に、メイキング…さらにはヒストリー的効果も狙ったビデオ・プログラムだ。このメタリカ・ビデオもラーズ、ジェームズのフロント・コンビはもちろん、メンバーのカーク・ハメット、ジェイソン・ニューステッド、プロデューサーのボブ・ロックらのコメントが随所に挿入されている。

ここで興味深いのが、ジェイソン・ニューステッドの存在だ。既にファンならば知っているはずだが、ジェイソンは先頃メタリカを脱退している。一部にはラーズ、ジェームズによる“イジメ脱退!?”などとの怪情報も飛び交う、ジェイソンの脱退騒動は、今、ホット過ぎる話題なだけに、ファンならずとも、本ビデオにおける彼の発言には思わず聞き耳を立ててしまうことだろう。このビデオの収録がいつ行われたのか、詳細は定かじゃないが、心なしかジェイソンの表情が暗いのもそのせいか!?

ちょっと意地が悪いかも知れないが、このジェイソンの映像も、今となっては見所のひとつに挙げられるだろう。

この“ブラック・アルバム”は'91年8年というから今から丁度10年前にリリースされている。通算5作目を数える“ブラック・アルバム”はメタリカという一種マニアックなカルト・バンドであった彼らをモンスター級のバンドへと大出世させたアルバムだ。

何しろ、リリース直後、米アルバム・チャートにおいていきなり初登場No.1を記録、その位置を4週間連続でキープした他、「エンター・サンドマン」、「ナッシング・エルス・マターズ」、「サッド・バッド・トゥルー」、「ジ・アンフォーギヴン」、「ホェアエヴァー・・アイ・マイ・ロウム」と5曲ものシングル・ヒットを放つという驚きの成績をハジキ出している。以前の彼らはアンチ・コマーシャルを打ち出し、アルバム・アーティスト的なイメージが強かっただけに、これは画期的というかほとんど事件に近い出来事だった。

その意味では、このビデオはメタリカ自身によるモンスター・アルバム“ブラック・アルバム”の10年目の検証と言えるかも知れない。

ロック・モンスターとしてのステイタス獲得に王手

彼らが“ブラック・アルバム”をリリース、現在のカリスマ・バンドへと大ブレイクした背景には様々な紆余曲折があった。

もともと、彼らは現在のハード・コア、ストーナー・ロックの原型といわれるスラッシュ・メタルの先駆けバンドとしてスタートを切っている。フロントの一角、ラーズ・ウルリッヒはデンマーク人で、渡米後の'81年、バンド結成に当たってメンバーの募集を呼びかけジェームズ・ヘットフィールドと出会っている。

但し、当時は彼ら2人のプロジェクト的なニュアンスが強く、他のメンバーは常に流動的だった。その中には今やメガデスのフロントとしてこれまた数多くのファンを抱えるデイヴ・ムステインも居たが、後に喧嘩別れをして、一時期メタリカとデイヴはファンのみならずとも知る有名な“犬猿の仲”だった。

『キル・エム・オール』


それはともかく、メタリカがバンドとして機能を果たすようになったのは'83年以降のことでインディーズ系のレーベル、メガ・フォースと契約、アルバム『キル・エム・オール』をリリースする。

当時のラインナップはラーズ・ウィルリッヒ(ds)、ジェームズ・ヘットフィールド(g,vo)、カーク・ハメット(g)、クリフ・バートン(b)の4人。スラッシュ、パンク、ガレージ・ロック等々、ともかくワイルドな音楽性ならば全てぶち込みスピードでまとめ上げたようなサウンドは他に例がなく、周囲のド肝を抜いた。

『ライド・ザ・ライトニング』


続く、セカンド・アルバム『ライド・ザ・ライトニング』('84年)も、そのスタイルを踏襲しつつ、スピード感をさらにアップ、スラッシュ・メタルの模範的スタイルを確立させる。この時期の彼らが、最もカルト・バンドとしてのオーラを放っていたと力説するマニアが多い。しかし、メタリカはそうしたカルト・ヒーローよりも、クリエイターとしての飛躍を選び、本国アメリカではメジャーのエレクトラ・レーベルと契約を結ぶや、より完成度の高いアルバム制作に意欲を燃やすことになる。

『メタル・マスター』


'86年リリースのサード・アルバム『メタル・マスター/Master Of Puppets』は、そうしたメタリカのヴァージョン・アップを印象付ける第1歩の作品だ。収録曲の大半が6分以上という大作志向もさることながら随所にメロディアスな要素を散りばめたスタイルは大いなるステップ・アップだった。それは良い意味で“メジャーのサウンド”とも言え、ターニング・ポイントとなった。

その結果、『メタル・マスター』は米アルバム・チャートで何と29位とトップ30入りを果し、大躍進を遂げる。むろん、ライヴも大好評を博し、オジー・オズボーンとのジョイント・ツアーはもとより、単独ツアーも記録的な動員数をハジキ出した。しかし、そのツアーの最中、ベーシストのクリフ・バートンが交通事故死、全スケジュールのキャンセルを余儀なくされた。

クリフを失った彼らは数多くのオーディションの結果、元フロットサム・アンド・ジェットサムのジェイソン・ニューステッドを後任として選び、その新ラインナップの下、'86年11月、初来日公演を行う。とここで気が付くと思うが、そのヒストリー的な意味合いも兼ねた本“CLASSIC ALBUMS”シリーズだが、当時の様子を伝える映像は登場しない。これはプロモーション・クリップの類は一切制作しないとのメンバーの固いポリシーに則ったことだからだ。その点は少々淋しい気がするが、それもメタリカの流儀、仕方なしか。しかし、そんな姿勢を一転させる時期が訪れる。

『メタル・ジャスティス』


'88年リリースの4thアルバム『メタル・ジャスティス/…And Justice For All 』のフィーチャー・トラック「ワン」では初のプロモーション・クリップ制作に着手、大きな話題を集める。名作映画「ジョニーは戦場へ行った」の場面を挿入した、モノクロ映像で統一した「ワン」はメタリカのメロディアス志向とストイックなまでのコアな姿勢が見事にマッチしたものでファンのみならず多くの視聴者に衝撃を与えた。

彼らはこの「ワン」でグラミー賞を獲得。また、アルバム『メタル・ジャスティス』は米チャートの6位に輝いた他、セールスも400万枚を記録、メタリカはここでカルト・ヒーローからより大衆性を備えた広い意味でのロック・モンスターとしてのステイタス獲得に王手をかけた。但し、それも今にすればほんの布石に過ぎなかったことを思い知らされる。

“ブラック・アルバム”から早や10年

メタリカをビッグに育て上げた敏腕マネージャー、ピーター・メンチ。その良きブレーンである人物、クリフ・バーンステインは、本ビデオの中で「それまでの彼らはツアーに明け暮れ、またアルバムを作るの繰り返しのバンドだった」とメタリカがあくまでマニアックな存在だったと語っている。

そう、ある意味で『メタル・ジャスティス』までは、そうした部分もあったように思う。しかし、“ブラック・アルバム”以降、メタリカの評価は一変、普遍的ロック・モンスターとして認知されることとなる。それが証拠に、ある種、権威主義といわれ、フツーならばメタル系アーティストなどハナにも引っ掛けない米ローリング・ストーン誌の編集者が本ビデオに登場、メタリカ、さらには“ブラック・アルバム”を絶賛するシーンは、それまでのバンドの評価を知る身としては何かチグハグに映ってしまうが、逆に言えばそれが“ブラック・アルバム”効果を示す象徴とも受け取れるのだ。

冒頭の繰り返しになってしまうが、ラーズ・ウルリッヒとジェイムズ・ヘットフィールドはアーティスト気質、さらにはプライドが人一倍強いミュージシャンだ。この“ブラック・アルバム”も、彼ら自身の従来のスタイルでレコーディングしようと考えていた。そこに一種、インベーダーの様に入り込んで来たのがプロデューサーのボブ・ロックだ。

ボブは、あのボン・ジョヴィを大成功に導いたプロデューサー、ブルース・フェアバーンのエンジニアとしてキャリアを積んだ人物。このメタリカとの共同作業はいわば1本立ちのキッカケだった。それだけにボブ自身もかなり力んで、メンバーにアレヤコレヤと指図、ラーズとジェイムズの自尊心をかなり逆撫でしたことが、双方の口から語られる。

特に、ボブが、これまでの作品はライヴ的な臨場感に欠けていたと指摘したのは、バンドにはかなりこたえたようだ。このビデオでは、今や笑い話にもなった当時の確執をラース、ジェイムズ、ボブの3人が振り返っている。

また、明らかにメロディアス志向となった作品だけにシンガーを務めるジェイムズにとってレコーディングはかなりの負担になったようでノドを痛め、それがヴォイス・トレーニングへと発展、最終的には歌唱力アップへと結び付いたと語る本人のコメントも興味深い。

一方、ボブにしても、既に成熟し始めたバンドに飛び込んだわけだから、当然、戸惑いもあり、メンバーとの信頼関係を築くまで、根気強くバンドに接したことが明かされるなど、名盤の陰に苦労ありが説得力を帯びて伝わって来る。

そして、その妥協せぬ努力がバンド…さらにはボブをも成長させる。ビデオの終盤でオーケストラを動員した「ナッシング・エルス・マターズ」のプレイ風景が映し出されるが、それがバンドの風格をドラマチックに演出、そのシーンを観るなり、あ~、メタリカは飛躍を遂げたなぁ~と実感させられる。

“ブラック・アルバム”を契機にミュージック・シーン全体が、メタリカは凄いと絶賛するようになり、早や10年。

それでも未だアルバムが持つ威厳は色褪せないし、その重厚さがメタリカというバンドのパブリック・イメージとして定着しているのは事実だ。その意味ではまさに“ブラック・アルバム”の前にメタリカ無し、メタリカの前に“ブラック・アルバム”無しと言えるんじゃないだろうか。

本ビデオを観終え、よりその気持ちが強くなった。これは必見!

北井康仁/YASUHITO KITAI

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