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ニューヨークはマンハッタンから海を隔てて南にあるスタッテン・アイランドに生まれ育ったデニス・コールズことゴーストフェイス・キラー。アルコール依存症のシングル・マザーと筋ジストロフィー症にかかり車椅子生活を余儀なくされた兄とスタッテン・アイランドのプロジェクトに育つ、という過酷な環境で育った来た。そんな中であったので生きるために犯罪に手を染めざるをえない生活を送った時期もあったが、1980年代末頃にウータン・クランの総帥であるRZAに出会う頃にはラップに目覚め更正していたという。そして結局はウータン・クランの構成員に認められ、オリジナル・メンバーの一人となった。

1993年の”Enter The Wu-Tang (36 Chambers)”でヒップホップ界に革命を起こしたウータン・クラン。RZAの作り出す革新的なビートにのせてゴーストフェイス・キラーの他ジニアス、メソッド・マン、レイクウォン、オール・ダーティー・バスタードらが各々の強力な個性を持ってMCをしていくスタイルは一世を風靡。その後もウータン・クランとして”Wu-Tang Forever” “The W”らを発表し、チャートは当然1位を獲得。現在に至るまで約10年間、唯一無二の存在として君臨し、また、メンバーもソロ・アーティストとしてアルバムを次々と発表し、ウータン・クランの構成員はヒップホップ界を占拠する勢いである。

そんな中ゴーストフェイス・キラーがソロ・アルバムを発表したのは1996年のこと。ソロ・デビュー前から盟友レイクウォン、オール・ダーティー・バスタードなどのソロ・アルバムに参加。ウータン外でもモブ・ディープ、ジョデシィなどの作品に客演し、ソロ・デビューが待ち望まれていた中のリリースだった。

ウータンの総帥RZAの設立したレーベル、レイザー・シャープからの第一弾となった「ムキムキマン」はほぼ全編に及びRZAのプロデュースで、ゴーストフェイス・キラーの魅力を十分に引き出す、統一感のある作品になった。中でもメアリー・J・ブライジをフィーチャーして家族の絆を歌う”All I Got Is You”は、本人曰く「泣かせるラップをやったのは俺が初めてだと思うんだ」という、ゴーストフェイスの新機軸でトレードマークとなった。このアルバムは全米でプラチナとなった。

4年を経て2000年に発表された待望のセカンド・アルバム「シュープリーム・クライアンテル」はのべ11組と多くのプロデューサーを用いながらも、RZAとゴーストフェイスが監修したため、バラエティに富んでいながら統一感のあるアルバムとなり、The Source誌でなんとマイク4本半をもらうほどのクラシック・アルバムになった。中でもかわいらしさすら感じさせる”Cherchez LaGhost”はセカンド・シングルながら大ヒットとなった。

そしてわずか1年でサード・アルバム「ブレットプルーフ・ウォレッツ」をリリース。従来のソウル・クラシック+泣きのラップ路線を強化し、カール・トーマスを大胆にフィーチャーしたファースト・シングル”Never Be The Same Again”や”Ghost Showers” ”Strawberry”などのユニークなトラックを収録し、相変わらずクオリティの高い作品を発表し続け、ソロ・アーティストとしての名声を確かなものにする事に成功している。