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櫻井敦司(Vo)、今井寿(G)、星野英彦(G)、樋口豊(B)、ヤガミトール(Dr)。この不動のメンバーで'85年12月から活動を開始。新宿JAMを中心に、都内ライヴハウスに出演するようになり、インディーズ・レーベル/太陽レコード主催のライヴにもレギュラーで出演。

'86年10月、太陽レコードから自主制作盤『TO-SEARCH/PLASTIC SYNDROME』を発表。翌'87年4月に同レーベルから『HURRY UP MODE』を発表。メンバーの出身地である群馬ではすでにホールクラスのライヴが出来る動員力があったのだが、本作のレコ発ライヴで、東京でも初のホールライヴ"バクチク現象"を豊島公会堂で行なった。

'87年11月21日、メジャーデビュー・アルバム『SEXUAL××××!』をビクターインビテーションから発表。カジュアルなビート・パンク系バンドが隆盛を極めていた時代の中で、BUCK-TICKの存在は特異でありながら確実に新たなムーヴメントを作り出していた。また、ロックバンドがテレビに出演したり、レコード店でのキャンペーンを行なうようになったのは、おそらく彼らがその走りではないだろうか。

'88年10月にリリースされたシングル「JUST ONE MORE KISS」の大ヒットに続き、'89年1月には、デカダンなイメージを強めたアルバム『TABOO』をリリース。しかし、今井の覚醒剤所持事件により、ツアーは中止、メンバー全員半年間の活動休止になる。そして12月29日、東京ドームにて"バクチク現象"と題したライヴで見事復活を遂げた。その後「悪の華」「スピード」『狂った太陽』等、名作/ヒットを連発。イベントにも多数参加している。

'94年9月21日、今井と藤井麻輝(ex SOFT BALLET)によるユニット、SCHAFTのアルバム『SWITCHBLADE』リリース。

'96年2月、メンバー主導による新事務所/BANKERを設立。同年11月、櫻井が急性腹膜炎で入院、ツアーが延期となる。ちなみに復活後のインタビューで櫻井は"死ぬかと思った"と発病時の心境を語っていた。

'97年1月、マーキュリーに移籍。以降、マイペースにリリースとライヴを行ない、作品毎に特異な世界観を構築し打ち出し続けている。そして2000年9月20日には、BMGファンハウス/アリオラ移籍第一弾、前作から3年ぶりとなるオリジナル・フルアルバム『ONE LIFE,ONE DEATH』をリリース。

2005年末には初のトリビュート・アルバム『PARADE~RESPECTIVE TRACKS OF BUCK-TICK~』(V.A)もリリース。 そして2007年9月8日、このアルバムに参加した全てのアーティストと共に、初となるBUCK-TICK 主催の大型ロックイベント を横浜みなとみらい・新港埠頭特設野外ステージで開催。 前日に台風9 号の直撃を受けながらも当日は晴天に恵まれ、 大成功におさめた。2010年9月1日にはフジテレビアニメ“ノイタミナ”「屍鬼」オープニング・テーマ『くちづけ』をシングルとしてリリース。2011年12月29日には12 年連続となる日本武道館公演を行い、ニコニコ生中継の来場者数が、ロックバンド史上最高の10万人越えを記録。2012年、不動のメンバーで迎えるデビュー25周年の記念年にあたり、新レーベル「Lingua Sounda(リンガ・サウンダ)」を設立。第一弾シングル「エリーゼのために」、LIVEDVD&Blu-ray「THE DAY IN QUESTION 2011」を5月23日にリリースし、7月4日には第二弾シングル「MISS TAKE~僕はミス・テイク~」、トリビュートアルバム「PARADE?~RESPECTIVE TRACKS OF BUCK-TICK~」を発売。9月19日には待望のアルバム「夢見る宇宙」を発売、そしてデビュー25 周年を記念してトリビュート・アルバムに参加したアーティストと共に「BUCK-TICK FEST 2012 ON PARADE」を千葉ポートパーク内特設ステージにて9月22、23日開催した。2013年には、デビュー25周年を記念したドキュメント映画『劇場版BUCK-TICK~バクチク現象~』を全国上映し、話題に。

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