SMショー(!?)、ギロチン、何でもありのバイオレンスなライヴ!

ポスト
~

SMショー(!?)、ギロチン、何でもありのバイオレンスなライヴ!

ロック界きってのエンタティナー、アリス・クーパーのホットなステージ

最新VHS

『Brutally Live』(VHS)

VIDEOARTSMUSIC VAVG-1091
2001年8月22日発売 4,410(tax in)

1ブルータル・プラネット
2ギミ

3ゴー・トゥ・ヘル

4ブロウ・ミー・ア・キッス

5エイティーン

6ビッグ・アップ・ザ・ボーンズ

7フィード・マイ・フランケンシュタイン

8ウィキッド・ヤング・マン

9デッド・ベイビーズ

10ドワイト・フライのバラード

11アイ・ラヴズ・デッド

12ノー・モア・ミスター・ナイスガイ

13今夜は燃えるぜ

14コウト・イン・ア・ドリーム

15イッツ・ザ・リトル・シングズ

16ポイズン

17テイク・イット・ライク・ア・ウーマン

18血を流す女

19勇気づけて

20俺の回転花火

21スクールズ・アウト

22ビリオン・ダラー・ベイビーズ

23アリスは大統領



アンチ・ヒーローにしてヒットメーカー

不気味なモンスターがアリス・クーパーのショッキングでシュールなショーの幕開けを告げる。元祖ショック・ロッカーのライヴに相応しいオープニングだ。

SMショー(!?)、ギロチン、何でもありのバイオレンスなライヴをエンターテイメントよろしくステージで展開するアリス・クーパーは、すでに30年もの間こうしたパフォーマンスを続けている。あのマリリン・マンソンでさえ、お手本とし、一目置くアリス・クーパー。このライヴ・ビデオ『ブルータリー・ライヴ』は、そんなロック界きってのエンタティナー、アリス・クーパーのホットなステージをダイレクトに捉えた1作だ。

タイトルの“ブルータリー”はアリスのニューアルバム『ブルータル・プラネット』に因んだもの。『ザ・ラスト・テンプテーション』以来、実に6年ぶりのオリジナル・アルバムとなった『ブルータル・プラネット』は昨年リリースされた。アリスにとって久々のニューアルバムということで大きな話題となったのは言うまでも無い。しかも、そのサウンドはアリスの過去30年のキャリアを振り返って見ても、それまで例の無いほどにダークでコアなモダン・へヴィなもので、彼のアルバムに対する力の入れ込み様が窺える。それだけにファンにとってはある意味衝撃作と言え、それが新時代に相応しい新生アリス・クーパーのスタイルを強烈にアピールする結果となった。

新生アリスを象徴するアルバム『ブルータル・プラネット』のテーマは、それまでのヴァーチャルな世界とは大きく異なり、リアル志向に肉迫した内容だ。ちょっとオカタイ話題になってしまうかも知れないが、現在の社会情勢、例えば凶暴化の一途を辿る犯罪や校内暴力、青少年による銃乱射事件、さらには核戦争までもが『ブルータル・プラネット』の守備範囲のテーマである。アリスはそんな現在、近未来の脅威に対し警鐘を鳴らすことで問題の深刻さはもちろん、アルバムの意義をアピールしている。バイオレンスなショーを売りとするシアトリカル・ロッカーのイメージからすれば、ギャプを感じる『ブルータル・プラネット』のメッセージだが、そこが知的でシュールなアリス・クーパーの真骨頂でもあるのだ。

この『ブルータル・プラネット』を手に彼は昨年夏から精力的なライヴ活動を展開している。ここに紹介するライヴ・ビデオは、ツアー・スタートからほどない2000年7月19日、ロンドンはハマースミス・アポロでのパフォーマンスを収録したものだ。もっとも、選曲は『ブルータル・プラネット』からの新曲をフィーチャーしつつも、往年のヒット・チューンもしっかり網羅、まさに“グレイテスト・ヒッツ・ライヴ”的な構成が嬉しい1作に仕上がっている。その過激なパフォーマンス、キャラクターからアリスはアンチ・コマーシャルのカリスマと思われがちだが、それは大間違い。実際はチャートを賑わしたヒットメーカーでもあるのだ。アルバムにして20作、シングル・ヒットも最高米7位を記録した「スクールズ・アウト」を筆頭に20曲もの作品をチャートに送り込んでいる。この実績がアンチ・ヒーローにしてヒットメーカーと言われるアリスの由縁だ。

アリス・クーパーのキャラクター確立

本名ヴィンセント・ファニアことアリス・クーパーは48年2月4日、ミシガン州デトロイトで誕生した。ちなみにアリス・クーパーというネーミングはある晩、17世紀の魔女アリス・クーパーがヴィンセントの夢枕で「お前は私の生まれ代わり。その名を名乗りミュージシャンになれば悦楽の日々が送れる」と語ったというが…。その信憑性はともかく、以来、ヴィンセントはアリス・クーパーと名乗り、精力的に活動をスタートさせる。そして、'69年、フランク・ザッパのレーベル、ストレイトと契約、デビュー・アルバム『PRETTIES FOR YOU』を、'70年にセカンド『EASY ACTION』を相次いでリリース。しかし、ヒットには及ばなかった。フランク・ザッパのレーベルからのリリースということで察しがつくように当時のアリスは前衛的なアプローチで作品に挑み、後のスタイルとは大きくことなり、その才能は空回りに終った。

ストレイト・レーベルとの契約を解消したアリスは新たな飛躍を求め、とあるプロデューサーの門を叩く。それがデトロイトきっての敏腕プロデューサーであるボブ・エズリンである。ボブはアリスの将来性を見抜くと同時に大手ワーナー・ブラザーズにアリスを紹介、見事売り込みに成功させる。そのボブ・エズリンのプロデュースの下、レコーディングが行われたメジャー・デビュー・アルバム『エイティーン』は'71年5月にリリースされた。前2作と比べ、キャッチーさが加わった同作は、荒削りな部分を残しながらもアメリカン・ハード・ロックのシルエットを描き、快心の1作となる。とりわけ、シングル・カットされた「エイティーン」は米チャートの21位と初ヒットを記録したのは特筆すべきことだ。その結果、アルバム『エイティーン』は米35位まで上昇、来るアリス・ブームの布石を築く。

『エイティーン』のヒットに勢い付くアリスは間髪入れず6ヶ月後には早くも次作『キラー』('71年)をリリースする。前作にも増してヒット・ポテンシャル志向を高めた『キラー』からは「俺の回転花火」、「ビー・マイ・ラヴァー」の2曲がシングル・ヒットを記録した他、アルバムも前作を上回る米21位にランキング、アリス人気を煽った。さらにここで見逃せないのがライヴである。アルバムの成功を受けてアリスはステージに視覚的及び演出効果を持ち込み、それが大きな話題となる。アリスはステージに自身の化身と豪語する蛇を登場させ、SMショーまがいの倒錯の世界を描く。そして、ギロチン台もこれを境に登場。アリスがギロチンに掛けられるシーンはステージ最大の呼び物となり、ここでシアトリカル・ロッカー、ショック・ロッカー、アリス・クーパーのキャラクターが決定付けられたと言っても過言じゃないだろう。その度迫力のほどはライヴ・ビデオ『ブルータリー・ライヴ』の「アイ・ラヴズ・デッド」でしっかり観ることが出来るので、まずはそれで味わって欲しい。

満天下に示す健在振り

'70年代初期のロック・シーンはイギリスでT・レックスデヴィッド・ボウイが台頭、ド派手なメイクと衣装でグラム・ロック・ムーブメントが巻き起こった。アリス・クーパーはさしずめアメリカン・グラムの代表格としてヴィジュアル派の大看板を一身に背負う格好となった。その意味でアリスはアイドル、さらにはロック・キッズのヒーロー的なステイタスをゲットする。全米チャートの第2位を記録、アリスの代表アルバムとなった『スクールズ・アウト』は、まさにここぞ!とばかりの'72年7月にリリースされた。“テストやノートやエンピツ、そしてセンコーの汚いツラともオサラバ”と絶叫するアリスはロック・キッズはもとより、ロー・ティーンのストレスを大人達に叩きつける代弁者の役割を果すことで、彼は一気にアンチ・ヒーロー像を確立、さらに支持層を拡大した。

また、'70年代のアリスのアルバム・ジャケットは遊び心満載のデザインが施されていたのも見逃せない。特に『スクールズ・アウト』は机をモチーフにデザインされ、中のアナログ盤を引っ張り出すとレコード盤には紙製の女性用パンティが被せられているという逸品。これもまた、キッズに大受けしたのは言うまでもない。このライヴ・ビデオでも「スクールズ・アウト」はオーディエンスに好リアクションを得ているが、そうした反応の中には今言った様々なエピソードが絡み合ってあるからだ。

アメリカは別名エンターティメントの国と呼ばれている。どんなささいなことでも面白おかしく演出してしまうのが、アメリカン・ショー・ビジネスの逞しさだ。アリス・クーパーは、それまでアメリカン・ロックに欠落していたユーモラスなブラック・ジョークのセンスを巧みに取り入れ、独自のスタイルとした。さすがにキッス登場以降、そのエンターティメントNO1の座は後続の彼らに譲る格好となったものの、アリスがその布石を築いたことは事実である。アリスを成功に導いたボブ・エズリンは後年、キッスのビッグ・ヒット・アルバム『地獄の軍団/DESTROYER』('76年)のプロデュースも手掛けているが、これとてアリス・クーパーとの作業で培ったノウハウと無縁ではないはずだ。

『スクールズ・アウト』の成功で名実共にトップ・アーティストのステイタスを確立させたアリス・クーパーは以後、初の全米NO1アルバム『ビリオン・ダラー・ベイビーズ』('73年)、『マッスル・オブ・ラブ』('73年)、『悪夢へようこそ』('75年)とコンスタントにヒットを放って行く。しかし、自身のドラッグ、アルコール問題に加え、テクノ・ロックなどサウンドの変化がアダとなり、'70年代末期から80年代半ばにかけて低迷期に陥る。もっとも、80年代初頭から半ばにかけては後続のキッスやエアロスミスでさえ、オールド・ウェイヴのレッテルを貼られたわけだから、それも致し方無しか。彼ら'70年代組に取って代わってロック・キッズのヒーローとなったのはボン・ジョヴィモトリー・クルーラットポイズンといったアメリカン・メロディアス・ハードの新鋭達だ。ただ、そんな後続の彼らがキッスやエアロスミスは俺達のルーツ、アイドルだったと公言し始め、これが結果的に'70年代組の再評価の波を作り上げたのだから面白い。むろん、アリス・クーパーも例外ではなく、彼は再評価の波にノリ、カムバックを果す。

カムバック第1弾アルバム『コンストリクター』は'86年にリリース。しかも、そのフィーチャー・トラック「ヒーズ・バック」はホラー・ムービー「13日の金曜日~ジェイソンは生きていた」のテーマ曲として使用され、あたかもショック・ロッカー復活のイメージを倍増させ、大きな話題となった。そして、これを契機に第1線に返り咲いたアリス・クーパーは『トラッシュ』('89年)、『ヘイ・ストゥーピド』('90年)、『ザ・ラスト・テンプテーション』('94年)と、その時代時代を睨んだアルバム作りを実践、第2次黄金期の糧とした。ライヴ・ビデオ『ブルータリー・ライヴ』収録の「ボイズン」は復活後、最大のヒット・チューンで'89年、米7位をマークしている。

以上、ざっとアリス・クーパーの30年余りの足跡を振り返って来たが、そのキャリアを代表的なナンバーで綴ったのが『ブルータリー・ライヴ』だ。全23曲、約90分に及ぶステージは、そのボリューム感もさることながら、アリス・クーパーのシャープなパフォーマンスに驚かされる。不老不死という言葉は、それこそアリス・クーパーのためにあるといった感じさえする。

そんなアリスのバックを務めるのはピート・フリーゼン(g)、ライアン・ロキシー(g)、エリック・シンガー(ds)、グレッグ・スミス(b)、テディ・ジグザグ(key)の5人。ピートは一時、やはりアリスの門下生でウィンガー、ドッケンのギタリストとして知られるレブ・ビーチにそのポジションを譲っていたが、アリスのツアー・メンバーを10年間務めている御馴染みの人材。また、同じくライアン・ロキシーもアリスのアルバムに参加の経験を持つ実力派だ。そして、エリック・シンガー、彼については説明不要だろう。キッスのドラマーとして名を馳せ、今年3月の来日公演でもオリジナル・メンバー、ピーター・クリスの代役以上の実力を発揮、ファンを唸らせたのは記憶に新しい。

この頼もしきバック・メンバーとスリリングなショーを展開するアリス・クーパー。現在も彼はツアーを継続中で、その健在振りを満天下に示しているという。残念ながら、現段階でアリスの来日公演は望み薄だが、ひとまずは『ブルータリー・ライヴ』でショック・ロッカーの元祖でもあり、超一級のエンタティナーでもある彼のパフォーマンスに酔い知れて欲しい。温故知新じゃないがきっと新たなロックの在り方が見えてくるはずだから。

北井康仁

この記事をポスト

この記事の関連情報