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1970年1月、大阪府池田市で生まれた金聖響は、多くの音楽家同様に幼少期よりピアノやヴァイオリンを通じてクラシック音楽に親しんだ。14歳で家族と共に渡米し、ボストン大学の哲学科を経て、ニュー・イングランド音楽院大学院の指揮科修士課程を修了。小澤征爾氏とボストン交響楽団が中心となって行われているタングルウッド音楽祭に参加し、奨学聴講生としてプロ指揮者への道を本格的に歩み始める。その後、ウィーンへ渡りウィーン国立音楽大学指揮科で湯浅勇治氏に師事。レオポルト・ハーガーらにも師事した。1996年にはポルトガルのリスボンで行われた「若手指揮者のための国際コンクール」で最高位、翌97年にはデンマークのコペンハーゲンで行われた若手指揮者の登竜門である「ニコライ・マルコ国際指揮者コンクール」で優勝し、日本でも音楽ファンに名前が知れ渡るようになる。その後、大阪シンフォニカー副指揮者や「アフィニス夏の音楽祭」「パシフィック・ミュージック・フェスティヴァル(P.M.F.)」等の音楽祭などで実績を重ね、国内外のオーケストラへ客演。国内の主要オーケストラには次々に客演を果たし、デンマーク国立放送交響楽団やパリのラムルー管弦楽団における定期演奏会でも好評を博した。

そうした活動の中で金聖響は、自らの存在意義を確信したと言える重要なターニング・ポイントに遭遇する。それが1990年代より欧米で実践されてきた「現代のオーケストラによるピリオド・アプローチ」という演奏スタイル。作品が初演された当時の演奏方法などを取り入れつつ、作曲家の意図をくみ取って音楽をリフレッシュさせるというこのアプローチへ積極的に取り組むことにより、自らのアイデンティティを宣言することとなった。2003年にスタートした大阪ザ・シンフォニーホールでのコンサート・シリーズ「新世紀浪漫派」(全4回、演奏は大阪センチュリー交響楽団)で、ほぼ満員の聴衆に成果の第1弾を披露し、同年にはオーケストラ・アンサンブル金沢を指揮して、本格的なCDデビューを果たす。ベートーヴェンの交響曲第2番+第7番(2003年7月リリース)、同じく交響曲第3番「英雄」+「コリオラン」序曲(2003年8月リリース)と続いたシリーズは、その後交響曲第5番+「エグモント」序曲(2004年8月リリース)、そして2006年7月には交響曲第6番「田園」のリリースが予定されている。

コンサート活動ではザ・シンフォニーホールのシリーズが毎年大好評となり、「維納(ウィーン)幻想派」(2004年)、「ウィーン古典派」(2005年)と続いているが、2006年は生誕250周年を記念した「モーツァルト~天才が遺した音楽」(全4回)で、同年代のソリストたちと共にモーツァルトの作品をリフレッシュさせる。こうした活動と実績が認められ、2003年4月から2006年3月まで大阪センチュリー交響楽団の専任指揮者に迎えられた。また日本各地の主要なプロ・オーケストラには定期演奏会を中心に、特別演奏会や演奏ツアーなども指揮している。

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