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天才マイケル・フィーリック率いる若きシューゲイザー・シーンの旗手。
アミューズメント・パークス・オン・ファイアのマイケル・フィーリック。彼はまず、父親のレコード・コレクションを聴くことによって、音楽に興味を持つようになっていった。

「もともと、父が持っていたPink Floyd、初期 Genesis、Yes、Emerson Lake & Palmerなんかのプログレのレコードを聴いていたんだ。で、どうやって楽器を演奏するかを学んで、12歳の頃にはAcupunctureというバンドを組み、そういったプログレのバンドをコピーしていたんだ」

Acupunctureは地元ノッティンガムのパブでライヴをおこない(当然、彼らは若すぎて、お酒はのめなかった)、Sonic Youth、Mudhoney、Dinosaur Jr、Pixies、Spacemen 3、My Bloody Valentine、そしてNirvanaやSmashing Pumpkinsといったバンドの影響も受けながら、マイケルは現在のサウンド・スタイルを確立してく。そして若干15歳の頃に、現在のアミューズメント・パークス・オン・ファイアのマネージャーに会い、ソロとしての契約を結ぶこととなる。

こうしてマイケルはイギリスのノッティンガムの自宅で曲を書き始め、アルバムの制作を開始。地元のスタジオで友達のエンジニア、Daniel Knowles(現在のバンドのギタリスト)の力を借り、デビュー・アルバム『アミューズメント・パークス・オン・ファイア』のレコーディングを行なった。全ての楽器はマイケルにより演奏され、The Pixies、Sigur Ros、My Bloody Valentine等と比較される轟音ギターのフィードバック・ノイズやストリングス、そしてピアノをフィーチャーしたそのサウンドは、シューゲイザー的なスタイルを思い起こさせた。そしてなにより、10代の若者がただ独りでこの作品を作り上げたことに、多くの人が驚嘆した。アルバムはPortisheadのGeoff Barrowの耳にとまり、彼のレーベルInvadaから2004年に英でリリースされ、John PeelやSteve Lamacqといった人たちからの大絶賛を受けることとなる。

「(僕がGeoffに会うより)彼のほうが僕に会うことに興奮していたようだよ」
2005年、バンドに対するライヴへのオファーが増える中、マイケルはメンバーを集め、ライヴ活動も開始。Secret Machines、The Dears、 Kaiser Chiefs他とライヴを行い、ライヴ・バンドとしての地位も確立。また同年には米でも『Filter』誌のレーベル、Filter Recordingsよりファースト・アルバムがリリースされた。

2006年、バンドはセカンド・アルバム『アウト・オブ・ジ・エンジェルズ』をリリース。バンド自身のノッテインガムのスタジオとアイスランドにあるシガー・ロス(シガー・ロスはマイケルに、レイキャヴィック近くの彼らのスタジオを使うよう、要請した)のプール・スタジオでレコーディングされたこのアルバムも大きな話題を呼び、同年のサマソーニック出演の為に初来日。ここ日本でも注目を集めるようになる。

こうしてバンドは同サード・アルバム『ロード・アイズ』の制作を開始。バンドとの共同プロデューサーにマイケル・パターソン(ベック、ブラック・レベル・モーターサイクル・クラブ、リンプ・ビズキット他)を迎えたこのアルバムは、冬のアイスランドでレコーディングされた前作とは違い、夏のLAでレコーディングされた。ゲスト・ミュージシャンにシルヴァーサン・ピックアップスのブライアン・オーバート他も参加した。

「レーベルからの(アルバムを作れ)という大きなプレッシャーもなかったから、4年もかかったし、逆にそれだからこそ僕らは生き残れたのかもしれない。その間、他のバンドとプレイしたり、ツアーに出たりといろんなことをしていたけれど、そうした経験から、どうして僕はアルバムを作りたいのかとか、何でぼくはアルバムを作るのかといったことの理由がわかったように思う」

レコーディングは順調に行われたが、究極のサウンドを目指すあまりミックスに時間がかかり、14人のミキサーを試すも、最終的にはバンドのメンバーのDan KnowlesとMichael Pattersonが担当。アルバムは完成した。

「いいものができるまで作業を続けただけだ。どんなミックスにしたかったかを言葉で表すのは難しいけれど、それが何だかはわかっていた。確かに長い時間がかかった。けど狂ったようになっていたわけではないよ」