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4歳よりクラシックピアノを学び、10歳でドラム、更に作曲を始め、いくつかのバンドを経て16歳の時にX(後にX JAPANへ改名)を結成。それまで存在していなかった、特異かつ独自なヴィジュアル、極端な静と動が同居した、激しくも美しい音楽性はシーンに一石を投じたばかりではなく、後にヴィジュアル系と呼ばれる全世界的な社会現象を伴う音楽ジャンルを新たに確立した。

数々の伝説、記録を打ち立てたX JAPANは1997年に解散するが、1999年11月、YOSHIKIは天皇陛下在位10年記念式典のために奉祝曲「Anniversary」を作曲し、天皇陛下と15,000人のゲストの前でこのピアノコンチェルトを演奏した。これを契機に音楽活動を再開。2000年には「日本社会と文化に貢献した人物」として文部大臣より感謝状を受け、2005年には経済産業省からの依頼で「愛知万博」公式ソングをプロデュースし、世界のコンサートマスター108人で構成される「スーパーワールドオーケストラ」を自ら指揮する。

2007年、ハリウッド映画「SAW4」の全世界テーマソングにX JAPANの「I.V.」が決定。念願の世界デビューを果たすと共に、X JAPANは奇跡の復活を遂げ、2008年3月、東京ドームでX JAPANの復活公演が3日間に渡って行なわれた。用意された15万枚のチケットはYOSHIKIオフィシャルサイトの先行予約だけで瞬時にソールドアウトとなった。そして、このX JAPANの復活を機に、YOSHIKIは世界を舞台に様々な活動を本格的に展開し始めた。映画では「カタコンベ」(米国)、「REPO!」(米国)、「GOEMON」(日本)等のメインテーマソング、音楽を担当。その全ての作品において、卓越した才能を証明し続けている。また、2009年1月には、香港でX JAPAN として初の海外公演(2万人動員)を大成功に収め、日本公演として、5月には復活後2度目の東京ドーム公演を2日間に渡って開催。同月末には2度目の海外公演を台湾で行い、現地では異例の2万5千人を動員し、アジア各国から注目を浴びた。

2010年には拠点を米国へ移し、1月にロサンゼルス・ハリウッドのコダック・シアター屋上特設ステージで、公開ミュージック・ビデオ撮影を実施。総入場者8000人、総制作費5億円を上回る大規模な撮影は、全米でも例を見ないものとなった。8月にはシカゴ・グラントパークで開催された北米最大規模のロックフェスティバル<ロラパルーザ>のメインステージに日本人アーティストで初めて登場するなど、本格的に米国進出を果たす。また、2010年フランス・パリでもファンミーティング(8000人動員)を行ない、日本においては横浜・日産スタジアムでグループ史上最大の2日間計14万人を動員する偉業を成し遂げた。

更に、2010年の9月から10月にかけて行われたワールドツアーの一環である初の北米ツアー(7都市)では延べ2万人を動員。ツアー後には世界各国のプロモーターから公演オファーが殺到する。その要望に応えるべく、2011年には2度目の北米ツアーや初の南米、ヨーロッパツアーを敢行、2011年1月には北米EMIと3年間のディストリビューション契約を交わした。1st Single「JADE」は2011年6月に北米でリリースされ、日本をはじめヨーロッパ各国のiTunesチャートを総ナメにした。

音楽活動の他にも日米両国において「YOSHIKI 基金」を設立し(米国では既に501C/公益法人に認定)、チャリティー活動や音楽療法の研究に力を注いでいるほか、世界的キャラクターハローキティとのコラボレーション「yoshikitty」や、ワイン業界の巨匠Michael Mondavi Family とのパートナーシップによるワイン「Y by YOSHIKI」を手掛ける(このワインは初年度にも関わらずパーカーポイントで88ポイントを獲得)。また、大手宝飾メーカーとのコラボレーションによる大胆奇抜にデザインされた「YOSHIKIジュエリー」のプロデュースも手掛けている一方、三井住友VISAカードから「YOSHIKI VISA CARD」が発行されるなど、その活動と影響力は多岐に渡る。

更にニューヨークにてマーベルコミック創設者のスタン・リー(スパイダーマン、X マン、アイアンマン等)とパートナーシップを組み、YOSHIKI本人が題材となるモーションコミックの制作を発表し、海外でも頭角を表している。X JAPAN は現在までにアルバム・シングル、DVD においてトータル3000万枚以上のセールスを記録、コンサートにおいても東京ドーム公演を既に18回成功させ、そのカウントだけでも100万人に達する。

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