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MinistryとNine Inch Nailsがインダストリアルミュージックを一般大衆に知らしめた功績は認められてしかるべきだろうが、この2バンドにノウハウを教えたのはSkinny Puppyだった。電子楽器のビートを耳障りなサンプル音と思い切りディストーションをかけたヴォーカルに結合させ、インダストリアルミュージックの新しいスタイルを作った。

Einsturezende NeubautenやThrobbing Gristleのようなバンドの暗い預言的なビジョンを、B級スプラッター映画の漫画のようなバイオレンスで増幅させることにより、Skinny Puppyはアンダーグラウンドミュージックの陰鬱さを暴力好きのお祭り騒ぎに変えた。

グループの初期の作品は政治的で、生体解剖と人権侵害を攻撃していたが、そのメッセージはしたたる血の海に消えてしまうことも多かった。彼らのパフォーマンスはロックンロールと芝居の影響を受けていた。バンドはしばしばジャイアントスクリーンにホラー映画と恐ろしいニュース映像を流し、ヴォーカリストのNivek Ogreは竹馬でステージを歩き回り、小道具を巧みに使い、大量のにせの血を自分や観客に浴びせた。

しかしSkinny Puppyは単なる安っぽいAlice Cooperではなかった。Cooperは魔術と芝居を大いに楽しんだのだろうが、Skinny Puppyのステージには、彼らの音楽とOgreの無秩序さを脅かす真に危険な要素があった。Ogreが今にも本当に観客を攻撃しかねなかったからだ。

Skinny Puppyは''83年に結成されたが、最初に売れたのは3年後の『Mind: The Perpetual Intercourse』をリリースした時だった。数年間は不気味なインダストリアルダンスミュージックの先頭に立っていたが、''90年にOgreがヘロイン中毒にかかると、彼の苦悩は3人のメインメンバー全員に影響を及ぼし、最終的にはDwayne Goetelの命を奪ってしまうことになる。

''92年に『Last Rights』をリリースする頃までには、Ogreの中毒は治まっていたが、バンドの方は死にかけていた。彼らはすぐに解散して、4年後に再び集まり、不運なアルバム『The Process』を手がけた。しかし、レコーディングの途中、OgreはGoetelとキーボードのcEVIN Keyと大喧嘩して、バンドは永久にやめることにした。GoetelとKeyは実験的なエレクトロニックグループDownloadで一緒に活動を続け、KeyはGoetelの麻薬中毒死の後も活動を続けた。