【緊急情報】ジョージ・ハリスンを偲んで

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ジョージ・ハリスンを偲んで

また、ひとつの時代が終わりました。
ジョージの死を悼み、多くのアーティストが、思いを寄せています。

音楽が世界を救うことを信じながら、ここに「想い」をまとめます。


●ジョージ・ハリソンがL.A.にあるポール家で亡くなったという噂はデタラメ
 2001.12.20
George Harrisonが死去した本当の場所が、L.A.にあるPaul McCartney所有の住宅だという噂が広まっている。が、それはまったくのデタラメだ。Harrisonの死亡場所は依然、謎のままで、彼の死亡証明書には存在しない住所が記載されていた。LAUNCHの調べではMcCartneyはL.A.に1件も住宅を所有してないことが分かっている。McCartneyは今年初め、『Driving Rain』のレコーディング中に家を借りたが購入はしておらず、また同時期に報道されたCourtney Love所有の住宅を購入したという事実もない。

Harrisonは11月29日、家族の友人で警備エキスパートのGavin De Beckerの自宅で死去したと報道された。彼の死亡証明書には1971 Coldwater Canyonという死亡場所が記載されていたが、そのような住所は存在しない。有名人を多く扱う弁護士Gloria Allredは「公文書記録の健全性」を保護する目的でロサンゼルス警察署(LAPD)に虚偽の住所に関する苦情を申し立てた。LAPDのスポークスパーソンは、保険金問題のような詐欺行為を目論むものでなければ、虚偽の住所を掲載しても罪にはならないと語り、ファンや供え物泥棒を防ぐために有名人が存在しない住所を載せることは時々あると付け加えている。

●ジョージ・ハリスンの追悼マキシ・シングル「マイ・スウィート・ロード」が2月8日緊急発売
 2001.12.19
11月29日に他界したジョージ・ハリスンの追悼マキシ・シングル「マイ・スウィート・ロード」が、'02年2月8日に東芝EMIより発売されることが決定した。

「マイ・スウィート・ロード」は'70年11月23日にアメリカ、'71年1月15日にイギリスで発売され、両国でNo.1を記録したジョージの最高傑作のひとつ。

今回のマキシ・シングルには「マイ・スウィート・ロード」の他、「レット・イット・ダウン」、2000年にジョージが新たにレコーディングした「マイ・スウィート・ロード(ニュー・センチュリー・ヴァージョン)」の計3曲を収録。いずれの曲も、今年1月に発売されたアルバム『オール・シングス・マスト・パス〜ニュー・センチュリー・エディション』に収録されている。

なお、このシングルの収益はチャリティーに寄付されるとのこと。

●デヴィッド・ボウイがVirgin Recordsを離れ自らのレーベルで活動開始
 2001.12.18
David Bowieが自らのレーベルに移籍するため、'95年以来レコード契約を交わしていたVirgin Recordsを離れた。Virginとの仕事に納得がいかなくなくなったBowieは、すでに1年以上前に設立していたISOレーベルで、今後すべてを取り仕切っていくことに決めた。

Bowieは公式ウェブサイト(davidbowie.com)にコメントを載せている。
企業組織とぶつかることが少しばかり長い年月になりすぎた。物事の進め方に同意できないことが多く、多産なソングライターとしては、何事も非常にゆっくり、ズルズルと進められていくのがフラストレーションになっていた。長い間、自分自身の会社を始めることを夢見ていたが、今がその最高のチャンスなんだ

Virginは、Bowieの新契約に対する選択権の行使を怠ったために、彼を自社のアーティスト・リストに残しておくチャンスを失った。関係を継続するための話し合いは依然として続けられていたが、先週、Bowieの代理人がVirginに次のように宣告した。
貴社は1年前の選択権行使をしていなかったので、我々は貴社の新契約交渉の試みを謹んでお断りさせていただく

ISOは今後、すべてのBowie作品をリリースしていく。これにはVirginが'02年3月12日の発売を予定していたタイトル未定の新アルバムも含まれる(発売予定日変更の可能性については、現在のところ発表はない)。ISOはニューヨークとロンドンにオフィスを構えており、他に2組のアーティストが所属している。名前は公表されていないが、ソロ・アーティスト1名とバンド1組ということだ。

自らのレーベルについてBowieはこう語っている。
すべての工程を人間的なレベルに保っていたい。ISOの特徴は、ギタリストRobert Frippのフレーズを借りて表現させてもらえば、“小さく身軽なインテリジェント・ユニット”を目指してるってとこかな

Bowieは、他の小さなインディペンデント・レーベル勢が“クリエイティヴな部分とビジネス的な成功が両立できることを証明している”と付け加えている。

●ジョージ・ハリソンの死亡証明書に疑惑が持ち上がる
 2001.12.15
George Harrisonの死亡証明書に死亡場所として虚偽の住所が記載されており、ある有名弁護士が当惑している。ロイター通信によると、Paula JonesやNicole Brown Simpsonの家族らの代弁を手がけたことのあるGloria Allredは、「公文書記録の健全性」を保護するためにロサンゼルス警察署(LAPD)に公式な苦情を申し立てた。

有名人および、その支援者らは、たとえ愛する人のプライバシーを保護するという善意を持った行動であるとしても……法律を越えてはならない

LAPDのスポークスパーソンは、保険金問題のような詐欺行為を目論むものでなければ、偽の住所を掲載しても罪にはならないと語り、ファンや供え物泥棒を防ぐために有名人が存在しない住所を載せることは時々あると付け加えている。

Harrisonは11月29日に死去した。当初の報道では、Harrisonは家族の友人でハリウッドの警備スペシャリストGavin De Beckerの家で亡くなったと伝えられたが、『Us Weekly』誌はHarrisonはロサンゼルスのStudio City地区にある貸別荘で死亡したと主張している。The Smoking Gunサイト(thesmokinggun.com)は死亡場所が1971 Coldwater Canyonと記載されいてるHarrisonの死亡証明書のコピーを掲載。その場所はOlivia Harrisonが所有していることになっているが、地区当局によれば、そのような住所は存在しないという。

●ポール・マッカートニーがジョージ・ハリソンを最後に見舞った時の思いを語る
 2001.12.13

Paul McCartneyは12月11日(火)、オスロで開かれるノーベル平和賞コンサートでのパフォーマンスの前に、ノルウェーのNRKテレビジョン・ネットワークのインタヴューを受けた。Paulはその中で、故George Harrisonへの最後の訪問は、暖かくて感動的なものだったと語った。McCartneyは2時間近くHarrisonの手を握り、昔話をしたという。

McCartneyはコンサートで彼のニューアルバム『Driving Rain』から“Your Loving Flame”と“Freedom”の2曲を演奏。最後にこのショウの他の出演者、Wyclef Jean、Anastacia、Natalie ImbrugliaらとThe Beatlesの名曲“Let It Be”を披露し、計3曲をHarrisonに捧げた。

McCartneyの婚約者、Heather Millsは事前に収録されたビデオで出演し、'97年にノーベル平和賞を受賞したInternational Campaign To Ban Land Mines(地雷禁止国際キャンペーン)への継続的な支援を訴えた。

コンサートのゲストは、今年のノーベル平和賞受賞者で国連事務総長のKofi Annan(国際連合が組織として共同受賞)、ノルウェーのHaakon皇太子、Mette-Marit皇太子妃、Martha王妃、そして数名の平和賞受賞者ら。俳優のMeryl StreepとLiam Neesonが同コンサートのホストを務めた。


●ジョージ・ハリソンの姉が世界平和の日となるCome Together Dayを計画
 2001.12.13
George Harrisonの姉、Louise "Lou" Harrisonが世界平和の日となる「Come Together Day」計画を打ち出した。Come Together DayのアイデアはLou Harrisonが何年もかけてまとめ上げてきたもので、彼女はこの時期こそ平和の日にふさわしいとLAUNCHに語った。

実際には'93年にスタートして以来、私たちは地球上のすべての人々に平和をもたらす道を探し続けてきました。お互いのことをもっと気にかけ、地球のことを気にかける道を見つけようと一緒に協力してきたのです
ここ何年かは、実際に軌道に乗せることができませんでしたが、最近のこの1年で多くの人々が私のところへ戻ってきてこう言ってくれました。“あなたが言っていたあのアイデアを覚える? 私はそれを実行する時が来たと思う”って

Louは彼女の弟が11月29日に亡くなる前、Come Together Dayの計画が現実に向かってゆっくりと動いていると語った。彼女はGeorgeの死により、この計画に情熱を注ぐ新たな理由ができたと語る。

合意に至るところまできたのです。もちろん、私の弟は悲劇的な死を迎えましたが、一緒にこの計画を立ち上げようと努力していたので、私は“これは彼が生きている間に関わったすべてのことを継続していくことになる”と思いました。ですから、思いやり、愛すること、平和、幸福、笑い、それらすべてのもの、そして創造主の内なる精神性と唯一の存在であること……そういうことが大切なのです

Lou Harrisonは、最終的には世界中で毎年Come Together Dayを祝うようになってほしいと語った。

●ジョージ・ハリソンの「My Sweet Lord」がイギリスで1月に再リリース
 2001.12.13
George Harrisonの最初のソロ・ヒット「My Sweet Lord」がイギリスで1月14日に再リリースされる。この収益金はチャリティに寄付されるが、どこに寄付されるかはまだ発表されていない。

当初このシングルはクリスマス・シーズンを狙い、早急に再リリースされると伝えられていた。しかし、EMI Recordsのスポークスマンがロイターに伝えたところによると、Harrisonが11月29日に癌で死去したことによって、EMIが儲けるていると思われないよう、再リリースを'02年に延期することを決めたという。

リリースには時間がかかる」「急いでクリスマスにリリースするのは、悪い印象を与える可能性がある」とスポークスマンは話す。

アメリカでの再リリースについては、明らかにされていない。

「My Sweet Lord」が収録されているアルバム『All Things Must Pass』はThe Beatles解散後、元メンバーによるソロアルバムとしては初めてアルバムチャートのトップを飾った。さらにシングル「My Sweet Lord」も、元メンバー初のポップチャート1位を獲得している。しかし「My Sweet Lord」は'61年のChiffonsのヒット「He's So Fine」の盗作であるとしてHarrisonは有罪となり、それ以降、この曲の出版社にロイヤルティを支払わなければならなくなった。

●ジョン・レノンを偲ぶ
 2001.12.09
'80年の12月8日、John LennonはNY市にある彼のアパート前で銃撃された。Lennonと彼の妻Yoko Onoは21年前の運命の夜、午後10時30分頃にNYのレコーディングスタジオを出た。2人が自宅のダコタ・アパートに着いたとき、Lennonは25歳のファン、Mark David Chapmanに射殺された。Lennonはルーズベルト病院へ運ばれたが、既に手遅れで出血多量のため死亡した。Lennonの遺産はThe Beatlesのメンバーとして、またソロアーティストとしての素晴らしい作品の数々が残っている。

Lennonが公然と殺害されたことから、その後、著名人の間で安全問題が持ち上がった。エンターテイナーにとって、アプローチやアクセスされることは頻繁で、それがよくプライバシーの侵害にもなる。シンガーソングライターのDan Fogelbergはかつて、彼の個人的な恐怖について次のようにLAUNCHに語っていた。
これまでもずっとプライバシーの問題はあった。特に'90年代には熱狂的なファンがいた。狂信的なファンというか……。それで僕や僕の友人、愛する人へ近づくものを制限しなければならないんだ。残念だけど、それが有名人の宿命だよ。たぶん、僕はそれほどアプローチし易くはないだろうけどね。この時代のところだよ。人々は警備を恐れている。つまり、僕たちはニューヨークにいるけど……、John Lennonはここで彼自身のファンによって殺された。不運にも、公の生活ではあらゆる面での対処を念頭に置かなければならない

James TaylorもまたLennonが殺された夜について語ってくれた。
Johnが撃たれた夜、NYのダコタの近くのビルにいたんだ。Langhamと呼ばれる建物だよ。何発か銃声が聞こえてね」「信じられなかったよ。こういうのは、ほとんど避けられないことだっていつも思っている。どこから来るのか、はっきり分からない……。人目に多くさらされたり、あまりにも有名だったり、公人としての度が過ぎると、毒があって危険だ……。よくそういうことを感じている。John Lennonの場合、彼はあまりにも有名で、世界中に知られ、愛されていたから、統計的に言っても誰かに狙われると思っていた。彼に近づくのは簡単だったんだ

Chapmanは'80年にLennonを殺害したことで終身刑となった。ニューヨーク州の法律では20年の刑期が過ぎると仮釈放の資格が与えられるが、Chapmanの仮釈放は2000年の10月に否認された。Chapmanは'02年10月に再び仮釈放の資格を得る予定である。

●ジョージ・ハリソンが亡くなった場所の謎
 2001.12.08
11月29日に死去した元The BeatlesGeorge Harrisonの臨終場所が問題となっているようだ。当初の報道では、Harrisonは家族の友人でハリウッドの警備スペシャリスト、Gavin De Beckerの家で亡くなったとされていたが、それを打ち消す記述が持ち上がった。

Us Weekly誌は、HarrisonはロサンゼルスのStudio City地区にある別荘で死去したと報じており、一方でSmoking Gunサイト(thesmokinggun.com)は、死亡場所が1971 Coldwater CanyonとなっているHarrisonの死亡証明書のコピーを掲載した。その場所はHarrisonの妻Oliviaが所有していることになっているが、ロサンゼルス市の税査定官らによると、そのような住所は存在しないという。

Harrisonの死亡証明書には葬儀監督者としてCremation Specialists of L.A.の名が記されており、彼の遺灰はインドで散布されることになっているらしい。

また、英国のタブロイド紙The Sunは、EMI Recordsの情報筋から引用して、Harrisonの'71年のソロヒット“My Sweet Lord”をクリスマス前に英国で再リリースすると報じている。この曲はHarrisonによる初のチャートトップ・ソロヒットで、売上金はチャリティ団体へ寄付される予定だが、詳細はまだ分かっていない。米Capitol Recordsのスポークスパーソンからは、米国での再リリースの可能性についての情報はない。

●キッス、ジョージ・ハリソンの遺産を語る
 2001.12.08
Kissの『Box Set』がリリースされた。このボックスセットにはバンドの数々のビッグ・ヒットやレアなデモなどが収められている。Gene SimmonsとPaul Stanleyは、彼らがロックに入れ込んだのはThe Beatlesの影響であることを認めている。バンドは今月初め、BeatlesのギタリストGeorge Harrisonが癌で死去したニュースを知って悲しんだ。StanleyはHarrisonの遺産について次のようにLAUNCHに語っている。

みんな分かっているだろうけど、George Harrisonはロックの織りなす世界と切っても切り離せない関係だ。どんなジャンルの音楽をプレイしようと、すべての人が彼の影響を受けている
もしそのことを分かっていれば、おそらくもっと影響を受けているだろう。彼は、現時点で存在するあらゆる種類の音楽に影響を与えている。なぜならBeatlesはロックのすべてに織り込まれているんだ

●ジョージ・ハリソンのインドでの遺灰散布報道が疑問視される
 2001.12.06
George Harrisonの遺灰が12月5日、インドの神聖なガンジス川に散布されると報道されたが、インド国内の関係者は、Harrisonの家族がインドを訪問するという話には根拠が無いとし、この報道を軽視している。

Harrisonの妻Oliviaと息子のDhaniは、元The Beatlesの彼の遺灰を神聖なガンジス川へ流すため、12月4日にインド北部ガンジス川沿いにある、ヒンドゥー教の聖地バラナシに到着すると報じられていた。しかし、バラナシ市警察の監査官Vikram Singhは12月5日、次のようにロイターに伝えている。

多分これは全部、メディアが作った話だと思いますよ。みんな無駄な探求をしてますよ

Harrisonの葬儀については、秘密にされてきた。クリシュナ教の関係者は、Harrisonの家族がHarrisonの遺灰の散布の儀式のためにバラナシを訪問すると、12月3日に話している。この儀式は、永遠の意識へ向かう魂の旅を儀式的に象徴化するもの。

Harrisonは長い間、敬虔なヒンズー教信者だった。彼はリーインカネーション(生まれ変わり)を信じており、International Society For Krishna Consciousness(クリシュナ意識国際協会)のメンバーでもあった。

監査官のSinghは「
この組織に関する限りでは、何も起こらないと思います。通常著名な方々のプライベートな儀式の場合でも、警察当局のサポートを求めるからです

バラナシの地方自治と航空交通管制は、特別な航空機の到着についてに情報は受けていないという。また、デリーやボンベイからの定期便には、Harrisonの家族の予約は入っていないという。

地元および海外のジャーナリストは、ガンジス川でHarrisonの遺灰が散布されるという情報から、この神聖な都市に集まっていた。クリシュナ教の関係者で、Harrisonの家族が到着する予定であることを以前レポーターに伝えたArajit Dasは、後に彼が誤った情報を知らされていたと述べている。

私がみなさんにお伝えできる情報は、新聞による報道をもとにしたものです。デリーやロンドンにあるInternational Society For Krishna Consciousness(クリシュナ意識国際協会)の事務局からは何も情報は入っておりませんし、Harrison氏の儀式のために、遺灰がバラナシに届くことについては、彼らも同じように情報をつかんでおりません

しかし、バラナシがあるウッタルプラデシの州政府関係者は、この神聖な儀式はもう既に行われたのかもしれない、と12月4日に話している。

バラナシには80もの階段があり、それらが神聖なガンジス川の土手の方向へ導いている。そこではヒンズー教徒の人々が罪を清めるために沐浴するほか、お供えものを用意したり、遺体を火葬し、灰も流される。3,500年以上の伝統を持つヒンズー教では、その儀式によって魂が肉体から離れ、天国への長旅を行ない、輪廻転生のサイクルから解放されると信じられている。

Harrisonは11月29日(木)、癌のためロサンゼルスで死去した。58歳だった。彼は最期、彼の家族と、彼の友人であるインドのミュージシャンRavi Shankarを横に、ヒンズーの神、ラーマとクリシュナの写真に囲まれながら一緒に「Hare Krishna」を歌っていたと伝えられている。彼の遺志に従い、遺体は死後数時間で荼毘に付された。


●ジョージ・ハリソンの遺灰がインドへ
 2001.12.05
George Harrisonの家族は12月4日(火)、元The Beatlesの彼の遺灰を神聖なガンジス川へ流すためインドへ向かった。

Harrisonは長い間、敬虔なヒンズー教信者だった。'60年代、彼は東洋の神秘主義の理想をBeatlesの他のメンバーにも紹介している。遺灰の散布は永遠の意識へ向かう魂の旅を儀式的に象徴化するもので、12月5日(水)に神聖な都市、ヴァーラーナシーで行なわれる。3500年以上の伝統を持つヒンズー教では、その儀式によって魂が肉体から離れ、天国への長旅を行ない、輪廻転生のサイクルから解放されると信じられている。

International Society For Krishna Consciousness(クリシュナ意識国際協会)の職員らは、葬儀のためにHarrisonの妻Oliviaと息子のDhaniの到着を待っている。Krishnaのスポークスパーソンは4日(火)、ニューデリーで次のようにAP通信に語った。
多くは秘密事項なので、私が言えるのは、明日(12月5日)に葬儀が行なわれるということだけです

Harrisonは11月29日(木)、癌のためロサンゼルスで死去した。58歳だった。彼の遺志にしたがい、遺体は死後数時間で荼毘に付された。


●ジョージ・ハリソンの姉がファンにメッセージを送る
 2001.12.05
11月29日(木)、George Harrison死亡の悲しいニュースが広まると、世界中のThe Beatlesファンが彼の死の悲しみを共に分かち合った。Harrisonの姉、Lou Harrisonは弟の死に多くの愛と親愛の情が絶え間なく注ぎ込まれていることに感銘しているとLAUNCHに語った。彼女は、彼がいなくなっても彼の遺産は永遠に残るのだから、悲しく思わないようにとGeorgeのファンに伝えている。

愛する人というのは、実際には決していなくなったりない。その人はいつまでもあなたの心の中に居続けるのだから」と彼女は言う。

Georgeはいつまでも生き続けます。なぜなら皆さんはいつでも音楽をプレイしたり、声を聞いたりすることができるのですから。それに彼の場合は、彼が弦に触れ、ギターで奏でる本当にすばらしい美を聴くことができます。それはとても表情豊かで美しいものです。また、映画を観れば他の人たちとふざけ合っている彼の姿を見ることができます。ですから、いつまでも若いままで皆さんの心の中にも残るでしょう

●ジョージ・ハリソン、旧友をゲストに迎えてニューアルバムの制作を進めていた
 2001.12.04
The BeatlesのメンバーGeorge Harrisonが密かにレコーディングをしていた最後のアルバムが実際にリリースされるか否か、またそのリリース日についてもまだ不明だが、最近、彼がギターで参加した2つのコラボレーション作品がリリースされた。Harrisonは、Jools Hollandのニューアルバム『Small World Big Band』のために、Harrisonが息子のDhaniと共に作った曲「Horse To The Water」に参加しているほか、Jim Capaldiのニューアルバム『Living On The Outside』の「Anna Julia」という曲にも参加している。

Billboard誌によると、Trafficのドラマー兼シンガー兼作詞家のCapaldiは「
とてもBeatlesっぽいヴァイブがある曲だったから、彼にプレイしてもらえないか聞いてみたんだ。彼は僕のためにとても喜んで引き受けてくれた」と話しているという。HollandとCapaldiのアルバムはイギリスで既にリリースされており、北米では来年リリース予定だ。日本国内では10月にリリース済み。

Capaldiはさらに「
スタジオで彼がソロアルバムに向けて準備をしている間一緒にいたんだけど、そこにはとても素晴らしい作品があったよ」と話している。

また、約1ヶ月間にわたってStaten Island University病院でHarrisonの治療にあたっていた、癌治療の専門医Gil Lederman医師によると、Harrisonはニューヨークでの治療の合間に新曲を作り、レコーディングしていた。また、その新曲を医師の為に演奏してくれたこともあったという。

ニューヨークのDaily News紙でLederman医師は、Harrisonの新曲について「
全て素晴らしい曲だった」と語っているほか、その曲が「Brainwashed」というタイトルだったことも明らかにしている。Lederman医師はHarrisonについて「チャーミングで優しい」と最後に述べている。

Harrisonが11月29日(木)に58歳で死去する前に、新作がリリースされる可能性は多いにあった。セッション・ドラマーのJim Keltnerは昨年LAUNCHに、まだ発表されていない多くの楽曲でHarrisonと一緒に作業を進めてきた、と話している。

(彼は)今までに作って、蓄積してきたものの中で、実際に完成させたいものを次々と取り出してきたんだ。そこには完成されていない膨大な数の作品があって、その膨大な数の作品にドラムを加えていったんだ。僕がプレイしたものの中には本当に素晴らしい、見事な作品があったよ

また約1年前、Harrisonはロイターにニューアルバムを制作中であることと、そのタイトルが『Your Planet Is Doomed, Volume One』であると冗談混じりに話し、さらに今年末にリリース予定であると話していた。イギリスでは週末、Harrisonがニューアルバムのタイトルとして「Portrait Of A Leg End」を検討していた、と報じられている。

●ジョージ・ハリソンがレコーディングした最後のアルバム
 2001.12.04
The BeatlesのメンバーGeorge Harrisonが昨年、癌との闘いの合間に密かに最期のアルバムをレコーディングしていたとロンドンのSunday Times紙は伝えている。Harrisonは11月29日(木)、ロサンゼルスで死去した。58歳だった。

『Portrait Of A Leg End』と題されたそのアルバムにはドラマーのJim Keltnerと、おそらくギタリストのEric Claptonがフィーチャーされている。2人ともHarrisonの友人だった。Harrisonは11月25日(日)に病室で、友人と家族のためにそのアルバムの中から数曲を演奏したと報じられている。

Harrisonは今年、イングランドにある彼のスタジオで未完の25トラックの制作作業を続けていた。中には'80年代にまでさかのぼる曲もいくつかあり、Sunday Times紙によれば'99年に自宅で襲撃されて刺された経験など、最近の出来事を扱った曲も含まれているという。しかし、どれもHarrisonの差し迫った死に言及するものではない。“Rising Son”というトラックはHarrisonの息子、Dhaniに向けた曲でもあるようだ。

KeltnerはTimes紙とのインタヴューで、このアルバムを「制作途中」で「シンプルかつダイレクト」と述べている。アルバムのリリース計画についての発表はない。

Harrisonの最近のスタジオアルバムは'87年の『Cloud Nine』。彼の前回のアルバム『Live In Japan』は'92年にリリースされた。

●サンタナ、ジョージ・ハリソンの死は音楽ファンにとって「大きな悲しみ」と語る
 2001.12.04
ロックの伝説Carlos Santanaは、同じくロックの伝説であるThe BeatlesGeorge Harrisonの死を悼んでいる。

個人的にGeorge Harrisonを知ってるわけではないけれど、彼の死は音楽を愛する者にとって大きな悲しみだ」とSantanaは声明の中で語っている。

Georgeは静かなBeatleだった。しかし、彼の音楽は大きなパワーと情熱を持って反響し、永遠に生き続けるだろう

ロイター通信は、Harrisonの家族が12月4日(火)にインドへ赴き、彼の遺灰をガンジス川へ流すと伝えている。

●クリードがジョージ・ハリソンの家族に哀悼の意を表す
 2001.12.04
CreedのメンバーScott StappとScott Phillipsは11月30日(金)、The BeatlesGeorge Harrisonの死を悼み、彼らの「心と配慮、祈りは今、(彼の家族と)共にある」とLAUNCHに語った。

CreedのフロントマンStappは、Harrisonは偉大な人物だったと言う。

彼のことを悪く言う人はいないと思うよ
本人がいない場所で、みんながその人のことを良く言うんだったら、その人はたぶん本当にいい人なんだろう

彼が残した遺産は、人をダメにする業界の中にあって良い性質の良い人物でいたことだと思う。彼はいつもしっかりと地に足をつけていた。僕の考えでは、それが何よりも強い遺産だ。それこそが僕たち3人がそうありたいと思う手本なんだ。僕たちが作る関係すべて、会う人すべてが良い経験とポジティヴな体験だと思いながら歩んでいきたい。George Harrisonのような人が若いバンドに教えてくれたのはそういうことだよ。若い人たちは彼のバンドではなく、人間としてのGeorge Harrisonに惚れ込んだんだ

ドラマーのPhillipsは、自分が“ビートルマニア・タイプのファン”ではないことを認めている。しかし彼は、彼らの影響は問題にならないほど大きいとLAUNCHに語る。

直接的な影響を受けるているかどうかに関係なく、僕たちが影響を受けた音楽というのはどれも確実に彼らから影響を受けているんだ
彼らは音楽の形を根底から変えてしまった。彼らの影響をまたく受けないでこの業界にいることはできないよ

Beatlesの中で最も若いHarrisonは11月29日、長期にわたる癌との闘病の末、ロサンゼルスで死去した。58歳だった。ロイター通信によると、彼の家族は12月4日(火)にインドへ行き、遺灰をガンジス川に流す予定だそうだ。


●ボブ・ディラン、ジョージ・ハリソンの死を悼む
 2001.12.03
11月29日(木)にロサンゼルスで亡くなったGeorge Harrisonの死を惜しんでいる人たちのなかにBob Dylanがいる。元The BeatlesのHarrisonと35年以上前から交友関係を持っていたDylanはこう語っている。

Georgeはでっかい存在だった。すごく偉大な人物で、人間性に溢れ、ウィットに長け、ユーモアがあり英知に富んでいた。そして、精神的な部分と人としての良識、人への思いやりを兼ね備えていた

Dylanのコメントはさらに続く。
彼は愛をもたらし、その力は100人分に値するもだった。彼は太陽のようであり、花や月のようだった。彼がいなくなってしまったことを、私たちはとてつもなく淋しく感じることだろう。彼のいない世界はまったくもって味気ないものだ

Dylanが初めてBeatlesと対面したのは'64年のニューヨークでのことだった。昔から何度も繰り返し語られている逸話(真実ではない)では、Beatlesにマリファナを教えたのはDylanだとされている。DylanとHarrisonの友情は'88年、Traveling Wilburysの結成にRoy OrbisonJeff LynneTom Pettyと共に参加したことで、より強固なものとなっていた。


●インキュバスのBrandonがジョージ・ハリソンを偲ぶ
 2001.12.03
Incubusのヴォーカル、Brandon Boydが元The BeatlesGeorge Harrisonへの想いをコメントしている。

残念ながら一度も会う機会はなかったけれど、彼の影響やインパクトは世代を超えて僕にも及んでいる
人々は彼の死を惜しみ、永遠に忘れることはないだろう。彼のご家族とファンのみなさんに愛と幸多からんことを

●マイケル・ジャクソンがジョージ・ハリソンの死を悼む
 2001.12.02
Michael JacksonThe BeatlesGeorge Harrisonの死を重く受け止めている。

世界はGeorge Harrisonの偉大な精神を失った。すばらしいミュージシャン、ソングライター、友人をなくした」とJacksonは声明の中で語っている。
彼は僕にとってのインスピレーションだった。彼のことはずっといつまでも忘れないだろう

JacksonとHarrisonの関係は専門的なビジネスの領域にまで達している。King Of PopのJacksonはBeatlesの楽曲を出版する会社Northern Songsを所有している。

●バッドフィンガーのメンバーがジョージ・ハリソンとの思い出を語る
 2001.12.02
11月29日(木)、George Harrison死亡のニュースが音楽界を駆けめぐると、彼の友人やミュージシャン仲間らがその死を悼んだ。HarrisonとThe Beatlesのおかげで成功したといってもいいグループ、Badfingerはそのサイトに「言葉では言い表せない……。あなたのことと、あなたが人生に与えてくれた影響はいつまでも忘れないだろう」とシンプルに表現し、悲しみのメッセージを載せた。

Badfingerは'68年、BeatlesのレーベルApple Recordsと契約し、Beatlesのメンバー全員と仲間になった。'70年、彼らはHarrisonの依頼によって『All Things Must Pass』のアルバムに参加。BadfingerのJoey Mollandはそのクラシックアルバムに参加した経緯を次のように語っている。

Appleを頻繁に訪れて、そこでGeorgeと出会った。そしたらGeorgeは『All Things Must Pass』のアルバムに参加しないかって言ってきたんだ。彼は何人かギタープレイヤーを必要としていたから、そう頼んできたんだろう。それで彼のためにたくさんのセッションを始めたんだ

翌年、Harrisonはそのお礼としてBadfingerのアルバム『Straight Up』の中の数曲をプロデュースしている。Harrisonがギターを弾いているトラック“Day After Day”はBadfingerのビッグヒットのひとつとなった。

彼は仕事を終え、今度はバンドのプロデュースに手を貸そうと決めた。彼は『Straight Up』をプロデュースし、実際にそこから5、6曲くらい手がけたんだ。それに“Day After Day”でもプレイした。そうなんだ。それは彼がプレイした曲のひとつだよ

MollandはHarrisonが方向性を示してくれたようなものとLAUNCHに語る。

簡単だったよ。すごく簡単だった」「Georgeはすばらしい人で、普通の感じの人だった。本当に。彼には“俺はBeatlesだ”っていう態度がなかったんだ

●ポール・マッカートニーとリンゴ・スターがジョージ・ハリソンの死にコメント
 2001.12.01

11月30日(金)、元The BeatlesGeorge Harrison死亡のニュースが駆け巡り、英国が生んだ伝説のバンドの残されたメンバー、Paul McCartneyとRingo Starrら彼らの友人の死を悼んだ。

McCartneyは声明で次のように語っている。

このニュースにまだ驚愕している」「彼のようなすばらしい人間を失うのは本当に悲しい。幸運にも(僕の婚約者の)Heather(Mills)と僕は数週間前にGeorgeと会うことができた。彼は相変わらずジョークを言って笑ってたよ

彼は次のように付け加える。
Georgeは黄金の心を持ったとても勇敢な男だ。だけどまた、愚かな人間をおもしろがって苦しめたりはしない人だ。Georgeがいなかったら、すべては不可能だっただろう。いつまでもそのことは忘れないよ。彼が去って、すごく寂しい。僕はいつまでも彼を愛するだろう……彼は可愛い弟なんだ

McCartneyはまた、プレスにHarrisonの妻Oliviaと息子のDhaniに敬意を表するよう依頼している。

Ringo StarrはHarrisonへの愛情を次のように表現している。

Georgeは僕の親友だった」彼は声明の中でこう語っている。
彼のことはとても好きだ。彼がいなくなって、これからとても寂しくなるだろう。(僕の妻の)Barbara(Bach)と僕は、OliviaとDhaniに愛と光を贈る。Georgeがいなくなって寂しいけど、彼の愛と音楽、笑いの感覚はいつまでも忘れないよ

Beatlesのメンバーの中で最も若く、穏やかなHarrisonは11月29日(木)午後1時30分(米太平洋標準時)、長期にわたる癌との戦いの末、ロサンゼルスで死去した。享年58歳。彼は妻と息子にみとられて息をひきとった。


●ジョージ・ハリソンの姉が初めてギターを弾く弟を見た日の思い出を語る
 2001.12.01
George Harrisonの姉Louise "Lou" Harrisonは今年初めに出版されたJim Kirkpatrick著『Before He Was Fab』の中で弟のことについて触れている。この本はGeorge Harrisonが米国を初めて訪れ、『The Ed Sullivan Show』でアメリカがBeatlesと出会ったときのことを語っている。それはThe Beatlesのすべてのメンバーにとって初の訪米だった。

Georgeは米国訪問中に地元のホールへ行き、そこで出会った地元のミュージシャンたちにジャムを頼まれた。Lou Harrisonはその時初めて、ギターを弾く弟の姿を見たという。

それまで彼が演奏する姿を見たことがありませんでした。もちろん、それは彼が初めてギターを手にする前に私が国を離れてしまったからです。だから、私にとってそれは驚くような衝撃でした。“ワオ、これが自分の弟だなんて、ほかの3人のメンバーと一緒になって4人になったらどうなっちゃうんだろう?”って感じだったのです。だってイギリスでの彼らについてはとんでもなく凄い話を耳にしていたのですから」と彼女は語っている。

彼女は最初、弟の訪問がそれほど重要とは思えなかったと言う。

私にとってはそれは何年も重要なことではなかったけれど、これは記録に残って、この先何世紀も語り継がれていくようなことだっていうのが分かったんです。これからもすべての世代で何千、何万というBeatlesファンが生まれるでしょう。それで私はこう思ったんです。“OK、記録に残す価値はある。たとえそれが些細なパートであっても、歴史的に見ればBeatlesが米国をまさに初めて訪れた時なのだから”って。Beatleが初めてアメリカの地を踏んだのはケネディ空港ではありませんでした。それはセントルイスで、'63年の9月のことでした

●オアシスのノエルがジョージ・ハリソンの死にコメント
 2001.12.01
Oasisのギタリスト/メインソングライターのNoel GallagherがGeorge Harrisonの死についてコメントを寄せている。OasisはThe Beatlesから大きな影響を受けてここ10年で成功したバンドのひとつだ。

とても、とても悲しい」とGallagherは声明の中で語っている。「彼は人生をかけて探していたものが見つかったのだろう。そうであってほしい

Gallagherは昨年、Beatlesの影響は未だに否定できないほど大きいとLAUNCHに語っていた。

すばらしいバンドだよ
彼らは最高のソングライターだ。単純にそういうことだよ。彼らの音楽は時間を経ても錆びない。そういうバンドは数多くあるもんじゃない。本当に、真に、確実に時代を経てきたんだ。未だに毎年300万枚のレコードが売れてるってんだから、ぶったまげるよな。そんなバンドほかにないよ。ひとつもないね

Beatlesのメンバーで最も若く物静かだったHarrisonは、11月29日(木)午後1時30分(米太平洋標準時)に死亡した。58歳だった。彼の妻と息子にみとられた最期だった。


●ミック・ジャガーとキース・リチャーズがジョージ・ハリソンを偲ぶ
 2001.12.01
11月29日(木)、George Harrison死亡のニュースが音楽界を駆け巡ると、The Rolling StonesMick JaggerとKeith Richardsは以下のような声明を発表した。

JaggerはHarrisonの音楽人としてのパイオニアについて次のように語っている。

Georgeの死を悲しく思う。彼が亡くなって、これからすごく寂しくなるだろう。ギタリストとして彼は多くのクラ
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