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1960年代に一世を風靡したグループ・サウンズ。1957年に結成された“ブルーコメッツ”が、1963年にジャッキー吉川がリーダーとなり“ジャッキー吉川とブルー・コメッツ”として新生スタートした。

1966年3月のビートルズ来日武道館公演では、ザ・ドリフターズや内田裕也らと共に前座として出演。同月「青い瞳」でレコード・デビューを果たす。以降は「青い渚」「何処へ」と次々とヒット作を放ち、1967年3月にリリースした「ブルーシャトウ」は150万枚という売上を記録。同曲で日本レコード大賞を受賞し、NHK紅白歌合戦にも初出場している。

その後は、美空ひばりの「真赤な太陽」でバックバンドを担当。1968年には『エド・サリヴァン・ショー』に出演。だが、他の当時のグループ・サウンズ全般がそうだったように、歌謡曲路線へと変化。1972年8月にリリースした「雨の朝の少女」を最後に同年10月、ブルー・コメッツは事実上の解散に至る。

1973年4月、井上忠夫、高橋健二、三原綱木が脱退したブルー・コメッツは新たに5人のメンバーを加え、ビクターより「哀しい少女」をリリースし新たなスタートを切る。

2000年5月に井上忠夫が死去。2001年10月、故・井上忠夫に対する深い感謝の気持ちを込め、正式に新生「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」の活動を再開させる。2002年10月には、再結成記念アルバム『BLUE COMETS FOREVER』をリリースした。

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