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アンソニー・キーディス(Vo)
フリー(B)
ジョン・フルシアンテ(G)
チャド・スミス(Dr)
ロサンゼルスの同じ高校に通う友人同士だったアンソニー・キーディス/Anthony Kiedis(Vo)とフリー/Flea(B)。卒業後も交遊を続けていた2人は、ある日、友人ミュージシャンからライヴの前座を頼まれ、やはり同じ高校に通っていたハイレル・スロバク/Hillel Slovak(G)とジャック・アイアンズ/Jack Irons(Dr)を誘いバンドを結成。
トニー・フロー・アンド・ザ・ミラクラスリー・マジェスティック・マスターズ・オブ・メイヘムと名乗って活動を開始する。
’82年に現在のレッド・ホット・チリ・ペッパーズ(RHCP)に改名した彼らは、EMIアメリカ傘下のエニグマと契約(ただし、ハイレルとアイアンズは他に契約のあるバンドを掛け持ちしていたため、RHCPの契約には参加できず)。 ’84年にアルバム『レッド・ホット・チリ・ペッパーズ』を発表する。翌年、契約がクリアになったハイレルとアイアンズを正式に迎え入れたRHCPは、ファンク界の大御所ジョージ・クリントンをプロデューサーに迎えセカンド作『フリーキー・スタイリー』を完成させる。彼らのパンク、ロック、ファンク、ヒップホップ、ヘヴィ・メタル……なんでもありのゴッタ煮サウンドと、メンバーのクレイジーなキャラクターに、徐々に注目が集まり始めた(LAではただの変態扱いだったというが、日本では耳の早い音楽ファンの間で評価を高めていた)。
’88年発表の『ジ・アップリフト・モフォ・パーティ・プラン』では、インナースリーヴに全裸1歩手前の自分たちの写真を掲載し“脱ぎっぷり”のよさをアピール(!?)、ますますもってオバカ・キャラが際立つことになるが、音楽的にはテクニックもアイディアも豊富なところを見せつけていた。ところが、アルバム発売3ヵ月後に、ハイレルがドラッグの過剰摂取で他界。ハイレルとは幼馴染みであるアイアンズも、そのショックの大きさから脱退を表明。RHCPには解散説まで流れる。

しかしアンソニーとフリーは、17歳のギタリスト=ジョン・フルシャンテ/John Fruscianteとチャド・スミス/Chad Smith(Dr)を得て、新生RHCPをスタートさせ、’89年『母乳』を発表する。アメリカではこのアルバム・ジャケットがわいせつ問題にまで発展、物議をかもしたが、RHCP行く所に事件あり、と言われたのもこの頃。
フロリダのビーチ特設ステージで行なわれたイヴェント『MTVスプリング・ブレイク・パーティ・ライヴ』の演奏中に、フリーとチャドは客席にいた女性を殴りつけ暴行罪で逮捕。またアンソニーは、ジョージア州での公演の後、楽屋で女子学生の顔に自分のモノを押しつけ逮捕、罰金……などなど。こうした彼らの悪さが関係したかどうかは知らないが、この後EMI(エニグマ)とは契約を更新せず、彼らは破格の契約金でワーナーブラザースに移籍。
 ’91年、鬼才リック・ルービン/Rick Rubinをプロデューサーに迎えた『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』発表。このアルバムからは“アンダー・ザ・ブリッジ”、“ギヴ・イット・アウェイ”、“ブレーキング・ガール”などのシングル・ヒットが続出、アルバムも全米トップ3入りを果たし、一躍人気バンドの仲間入りをすることになる。ところが、’92年5月、来日公演中のバンドから突如ジョンが脱退。また、各メンバーが私的な問題を抱えたりもしてRHCPは一時休業状態に陥ってしまう。

 そんな彼らが復活したのは’94年。新メンバーにデヴィッド・ナヴァロ/David Navarro(g:元ジェーンズ・アディクション)を迎えた彼らは『ウッドストック・フェスティバル』に出演。翌''95年にはアルバム『ワン・ホット・ミニット』を発表し、「レッチリの電撃ワープ」などのシングルがヒット、アルバムも好セールスを記録した。
 ’98年6月にはワシントンD.C.で行なわれた<チベタン・フリーダム・コンサート>に出演したが、ここでかねてから噂されたジョン・フルシャンテの復帰が実現。’99年にはフルシャンテ復帰第1弾作となる『カリフォルニケイション』を発表した。初期の無防備、無節操なまでのエネルギーは陰を潜め、かわりに歌やメロディに対するこだわりを感じさせる、ゆるいナンバーが印象に残る。昔を知っている者にとっては、ちょっと寂しい気もするが、アルバムの完成度が高いことに変わりはない。シングル「スカーティッシュ」を始めとする5枚のシングルはいずれも大ヒットを記録し、世界ツアーも大成功に終わり、アルバムはバンド史上最高の1,300万枚を超えるモンスター・アルバムとなった。’02年には新作『バイ・ザ・ウェイ』をリリース。タイトル曲はシングルとしても大ヒットを記録し、アルバムは結果的に世界で800万枚を超えるセールスを記録した。日本でもフジロックに出演、その後も大盛況のジャパン・ツアーを行ない大きな話題となった。

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