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1965年11月21日、アイスランドのレイキャビックに生まれた。ジミ・ヘンドリックスやエリック・クラプトンに影響されたバンドをやっていたというギタリストの継父の影響で、ビョークは幼い頃から音楽に触れ始めた。

5歳で地元の音楽教室に通い始め、ピアノやフルートなどに触れながら基礎的な音楽知識を蓄えていったという。1977年、11歳で早くもビョークはレコード契約し、アルバム「Bjork」をリリースしている。これはアイスランドでプラチナ・アルバムとなっている。

18歳の頃にはパンク~ゴス・バンドのKUKLに参加。アナーキズムを思想としたイギリスのレーベル、クラスとレコード契約し、1984~86年の間にバンドとして2枚のアルバムを残した。

1986年には男児をもうけ、同時期にKUKLは解散。それを母体とし、3人の新メンバーを迎えてシュガーキューブスを結成。シュガーキューブスは間もなくデビュー・シングル“バースデイ“を発表。その後1987年にイギリスのワン・リトル・インディアン・レーベルから、このシングルの英語ヴァージョンがリリースされたことで彼女達に大きな注目が集まった。同時期、彼女達は故郷のアイスランドでバッド・テイスト・ファミリーというプロジェクトを始動させ、音楽に留まらない総合アート的な活動も行っていく。

1988年、シュガーキューブスはアメリカではエレクトラ・レーベルと契約。デビュー・アルバム「Life’s Too Good」を発表(イギリスではワン・リトル・インディアンから)。このアルバムが大きな話題を呼び、日本の音楽メディアでもこの辺りからシュガーキューブスの名前が浮上してくることになった。

1992年、デビュー作以降、2枚のアルバムをリリースするが結果的にデビュー作以上のセールスが挙げられなかった彼らは解散した。

1993年にソロ一作目「Debut」を発表。 ビョークのイノセントで自然体な魅力がシュガーキューブス時代よりも色濃く押し出された「Debut」は、全世界で250万枚のセールスを記録し、結果的にシュガーキューブス時代よりも彼女の存在が広く世間にクローズ・アップされることとなった。

1995年に、前作からのネリー・フーパー、トリッキー、ハウイーB、とのコラボレーションによるセカンド・アルバム「Post」を発表。この作品はビョークの存在感と共に、その音楽性の高さにも注目が集まったが、セールス的にも前作を上回る300万枚という数字を記録する結果を生み出し、アート的な意匠とポピュラリティがビョークにとっては何ら矛盾しないことを強く示した。

1997年にオリジナルとしては三作目となる、スペイン録音のアルバム「Homogenic」を発表。 前作を上回る完成度を見せた同作は、その強烈なジャケット・イメージも話題となった。

1998年の年末から、ビョークはラース・フォン・トリア監督の映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』サントラ制作、そして主演としての映画制作に入り、2000年5月に公開された。同映画はカンヌ国際映画祭で主演映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』がパルム・ドール(最優秀作品賞)を、そしてビョーク自身は最優秀女優賞を受賞。

2004年8月、アテネオリンピックの開会式に登場。開会式のために書き下ろされた「Oceania」を披露した。

2005年7月には、アフリカ支援を訴え、貧困にあえぐ人々に対する債務の帳消、支援金額の倍増、公正な貿易ルールの実現を求めたチャリティー・コンサート「LIVE8」の「LIVE 8 JAPAN」に参加した。

2008年3月に行われた上海公演で楽曲「Declare Independence(独立を宣言しよう)」の最後の部分で「チベット、チベット」と叫んだことで、中国当局がビョークに対する非難の声明を出した。

2012年11月、自身のFacebookで声帯ポリープの除去手術を行ったと報告。

2015年1月、アルバム「vulnicura」をリリース。このアルバムはビルボードチャートで20位を獲得。3月には、ビョークの20年間のキャリアを音楽、ビデオ、衣装などを通して体験できる回顧展が開催された。同年11月、「vulnicura」のストリングスのみのバージョン「Vulunicura Strings」をリリースした。

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